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生成AIで文章を書くということ―野菜と寿限無から考える

作成者: akinobu.miyamoto|2026年10月20日

生成AIの文章は「収穫したての野菜」

生成AIで文章を書くことは、野菜を育てることに少し似ています。

種をまけば、あとは勝手に育ってくれる――というほど簡単ではありません。
気を抜けば、もっともらしい言い回しという雑草がもさもさと生えてきます。

違うのは、育つ速さぐらいではないでしょうか。

そして、無事に収穫できたからといって、そのまま食卓に並べられるわけでもありません。
畑から採った野菜には土がついているし、余分な葉や根も残っています。

もし、あなたがヤギならば「やったぜ!」と茎ごとバリバリ食べるのでしょう。

でも、ヤギはたぶんテックブログを読みません。
おそらくあなたも、私と同じように収穫物を洗ったり、切ったり、ときには火を通して食べたい派だと思います。

ところが仕事の現場では、茎も葉も残ったもぎたてのトウモロコシを「どうぞ」と渡すように、AIが生成した文章をほとんどそのまま人に渡してしまうことがあります……。

そもそも「いい文章」とは何か

では、そもそも「いい文章」とは何でしょうか。

私が勝手に文章の先生とあがめている木下是雄さんの『理科系の作文技術』を頼ってみることにします。
木下さんは本書の中で、

仕事の文書にはそれぞれの役割があり,機能がある.

と書いています。
さすがとしか言いようがないですね。

たとえば、
手順書なら、読んだ人が同じ作業を再現できること。
議事録なら、何が決まり、誰が何をするのか分かること。
要件定義書なら、顧客の要望が整理され、それをもとに設計できること。
ということですね。

つまり、仕事の文章は、その文章に求められている役割を果たして初めて「使える文章」になります。

たとえば、生成AIを使って要件定義書を作ったとします。
それを読んだ人から、

「ここってどういう意味ですか?」
「この条件はどこまで含みますか?」
「結局、何を作ればいいんですか?」

と何度も確認されるのであれば、その文章は十分に役割を果たしているとは言えません。

文章としてきれいに整っているかどうかだけではなく、
「この文章は何のためにあり、その役割を果たせているか」
を人間が確認する必要があります。

では、どんな文章を書けばいいのか。

またまた、木下さんを頼ってみましょう。
『理科系の作文技術』で、明快に書くための心得の一つとして、

できるだけ普通の用語,日常用語を使い,またなるべく短い文で文章を構成すること.

と書いています。

この一文は、「できるだけ普通の用語、日常用語を使うこと」と 「なるべく短い文で文章を構成すること」に分けて考えると分かりやすいです。

「普通の言葉」は誰にとって普通なのか

一つ目は、「できるだけ普通の用語、日常用語を使うこと」です。
ただ、「普通の用語」って何でしょうか。

たとえば、サッカーの記事で「オフサイド」という言葉を使ったとします。
サッカーを知っている人に向けた文章なら、「後半30分、オフサイドでゴールが取り消された」で十分でしょう。

「オフサイドとは、攻撃側の選手が相手ゴールの近くで待ち伏せするようなプレーを制限するルールで……」なんて毎回説明されたら、むしろ読むのが面倒です。

でも、サッカーをまったく知らない人に向けた文章なら話は変わります。 「オフサイドでゴールが取り消された」とだけ書かれても、「オフサイドって何?」となります。

つまり、「普通の言葉」かどうかは、言葉そのものだけでは決まりません。
読む人にとって普通かどうかで決まります。

これは仕事の文章でも同じです。

同じ部署の人しか読まない資料なら、普段使っている略語や業務用語をいちいち説明する必要はないでしょう。
一方、その資料を別部署の人や、その業界が初めての開発者も読むなら、同じ書き方では伝わらないかもしれません。

専門用語を使わないことが大切なのではありません。
読み手が知っている言葉なら、そのまま使ったほうが簡潔です。

知らない言葉なら、言い換えるか、説明を加えます。
文章の難しさを決める基準を、書き手ではなく読み手に置くことが大切なのだと思います。

文章を「寿限無」にしない

二つ目は、「なるべく短い文で文章を構成すること」についてです。

そもそも、なぜ短い文がよいのでしょうか。
それは、読み手が内容を理解しやすくなるからでしょう。一文に多くの情報を詰め込むと、読み手はその関係を頭の中で整理しなければなりません。

ここで、少し視点を広げてみます。

読み手が必要な情報を無理なく理解できることが大切ならば、一文の長さだけでなく、文章全体の長さにも目を向ける必要がありそうです。
必要のない説明や重複した情報が多ければ、読み手は何が重要なのかを自分で探さなければなりません。

そして生成AIの登場によって、この問題は以前より身近になりました。

生成AIは、驚くほど簡単に大量の文章を作ってくれます。 そして、生成AIが作る文章は必ずしも間違ったものばかりではありません。

むしろ、

「この説明もあったほうが親切だな」
「この補足も悪くないな」
「この例も残しておきたいな」

という文章を次々に出してきます。

どれも間違っていない。どれもそれなりに良い。だから、捨てられない。

これは少し、落語の「寿限無」に似ています。

あれも縁起がいい。
これも縁起がいい。
だったら全部入れてしまおう。

生成AIで文章を書くときにも、同じことが起こります。

さらに、書き手からすると「全部残す」という判断は低リスクです。
削ってしまえば、「必要なことが書いていない」と言われるかもしれません。
一方、残しておけば、とりあえず書き漏れは防げます。

迷ったら残す。

その判断を繰り返しているうちに、文章はどんどん寿限無になっていきます。

また、文章を削るには、その内容をある程度きちんと理解している必要があります。

何が重要なのか。
何が補足なのか。
どこまで説明すれば十分なのか。
どの文章なら、なくても意味が変わらないのか。

それが分からなければ、生成AIが作った文章はどれも必要そうに見えてしまいます。

ただ、選別する作業そのものがなくなるわけではありません。
書き手が選ばなかった分だけ、今度は読み手が、

「結局どこが重要なのか」
「どこまで読めばいいのか」
「これは必要な情報なのか」

を判断することになります。

つまり、選別するコストを誰が払うのか、という話です。

書き手が払わなければ、そのコストはそのまま読み手に渡ります。

そして仕事の文章は、本来、読み手の仕事を増やすためにあるわけではありません。
だからこそ、生成AIが大量に文章を作ってくれる時代には、「何を書くか」だけでなく、「何を捨てるか」まで書き手が引き受ける必要があります。

収穫するのはAI、調理するのは人間

生成AIは、ものすごい速さで作物を育ててくれます。
普通の畑と違うのは、収穫まで数か月ではなく、数秒しかかからないことぐらいです。

でも、どれだけ速く育っても、土を落とし、余計な葉を取り、食べる人に合わせて調理する仕事まではなくなりません。

AIが収穫した文章を、読む人に合わせて仕上げる。それが人間の仕事なのかもしれません。

参考文献